2004年
もう一つの病
恥の上塗りですが・・・ハム暦より少し浅い病に『話し方』があります。
本業で社員とのコミュニケーションが不足し度々トラブルを起こしました。・・・原因は私にあったのです。
多くのハムに見られる現象ですがハムは技術バカなのです。該当されない方ごめんなさい!
人のこころに無関心で結果が良ければ全て良し、と単純な発想が人間関係を損ない、指摘されるほど益々ネクラな病に退避するやまい持ちです。技術指導でお世話になったOMの紹介で『人間関係』をテーマとした研修に、いやいやながら参加した結果気付かされたのです。(日本IPR研究会)
では治療薬は?となると生まれながら技術馬鹿の不器用さが障害になるのです。
重度の病は治療に時間が必要でした。新薬での治療はリバウンドとなり人知れず治療できる療法が『話し方』だったのです。
治療を続けてた結果、気が付いてみれば治療する側に座りつつあります。(話の会)
大事に育てられ過ぎた私ですが、最近の少子化による過保護から新たな心配をしています。
後期高齢者になりました
開局から55年、良くも続けた道楽だ!!!!
アンテナエレメントが脱落しても家族の反対でメンテも出来なくなりました。超さみしい!!!と言いたい。
少し若いローカルのご好意で復旧はしたものの、広い庭の手入れも逃げたくなっていたのです。本当に限界です!!!
苦労させ通したかみさんの強い要望からマンションにQSYの話が進みました。でも・・・でも・・・ものは考え様です。アンテナの踊り場に移動すればいつでもアンテナをイジクッテいる事が可能じゃないか!!!そうしよう!!ニイタカヤマノボレが良い!
ニイタカヤマノボレの台地に
負け戦となった開戦の暗号を発したのは船橋の台地、高圧線を逃れながら強度不足問題もクリアしたマンションに出会った。
かみさんもすっかり気に入り34年住み慣れた家の処分やパンザマストの撤去では泣けてきたのです。
老後の資金も考えた末11階と言う半端な階ではありますがマンションの住人となったのは2006年の春でした。
この更新版の作成は多くの方々からの更新要求があっての成果です。サイレントキーまで頑張るぞ!!!
最後まで閲覧下さいましてありがとうございました。宜しければアパマン編をどうぞ・・・
本業とのかかわり
本業は金属加工業で昔風に表現すれば『ブリキヤ』。父と始めた事業で特殊な機械を操り、主に建築関連金物の生産工場の経営に当たっています。(株式会社エコロ)機械を始め金型の設計も担当しCADによるデザインは趣味を生かす接点でした。
飽くまでも電気は趣味の範囲に留まりながら、機械装置のトロニクス化では時代の最先端を歩み、事業も継続出来たのは病のせいです。
寿命の長いモノ作りには先端技術を組み込むより、従来からの基本技術の組み合わせが人間味を失わないモノになるのではと感じています。現在後継者として息子(JQ1AQM)が苦労も継いでおりますのでお引き立てをお願いします。
画面の説明をいたします。
下段左はIC−970(144MHz,430MHz,2400MHz)右IC−726(HF)
その上左IC−1271(1200MHz)その上FUJIYAMA(18MHz)⇒⇒