ヘロー アンテナ
6mと言えばA3の水平偏波が一般的な当時としてはアンテナにも工夫が必要で、ヘローアンテナなるアンテナで運用した時代もあります。これは機構的に頭でっかちのため車体に安全に取り付ける事がが悩みでした。それにしても運転しながらノイズの中から信号を探る頭脳も鍛えられ、今となってはかみさんの小言は綺麗にカット可能に活用しています。
右は学友と東北ドライブ紀行の際の写真です。
送信機と技術指導
6mA3で出力10Wを目指すには真空管を使う以外まだトランジスタの性能が向上してなかった時代です。真空管となれば高圧電源を必要とし、当時はまだ市販されていないDC-DCコンバーターの製作まで必要でした。
私の技術指導から現物支給までして下さった蒲田クラブの故石田氏(exJA1AAU)あっての大作戦でした。
年貢の納め時
東京五輪の年に出逢ったYLが実は現在のかみさんです。私の持病としてハムを生涯の道楽と認めさせた時代です。
翌年春の結婚で今まで通りの道楽は仕事と家庭に追われスローダウンせざるを得ませんでした。 身を固めると言う事なのでしょう、方向転換を求められたのです。
この時期は進歩するトランジスタを始めとする高度な技術に追いつけなくなっていた時期でもありました。
回路図など必要なく5球ラジオなど簡単に組み立てた職人技では通らなくなっていました、加えてハム向けのリグが販売され、A3からF3へと移り替わり、リグの紹介は型番で通じ時代の流れには追いつけなくなったのです。
ハンディからモービルへ
6mでアクティブな運用はTVI(TV聴視障害)の原因となり自然その歩みは移動局へと向かっていました。当時はまだFMで運用する局は皆無でした。
公道は6m・A3は物凄いノイズの巣窟、しかし高さに制限はあるもののλ/4を乗せるには都合が良かったのです。後部バンパーにアンテナを背負った車などは報道機関を除いて珍しく、見せびらかしの体でした。
勿論RX・TXとも自家製で中古タクシー無線機も殆ど見られない時代です。
幸いに入手可能なトランジスタは性能も向上し受信設備は、カーラジオにノイズリミッタ回路を追加しクリスタルコンバーターを繋いだ、オールトランジスタでそれなりの感度を得ることが出来たのです。
送信機は管名を忘れましたがTV管、水晶での運用に変わりはありませんでした。
電源は勿論DC-DCコンバーターによるハイテクです。